忘却予防ライン

海馬がDB化されるまで、人は何かを書かねばと強いられているようです

素晴らしきドッペルゲンガー ~不連続性存在~

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)

長らく積んでいた作品を今更になって手に取ったのは、著者の唐辺葉介氏が瀬戸口廉也氏の別名義であることを知ったことからだ。これこそ今更の話で、自身のアンテナの低さに辟易とする次第なのだけれど、SWANSONGで受けた衝撃を忘れない程度には、まだ耄碌していないらしい。


死んだ恋人をクローン技術によって「転生」させることで、主人公と恋人はもう一度二人で人生の続きを歩みはじめる。
こう書くと、なんだ綺麗なラブロマンスじゃないかと思う人がいるだろう。またその一方で、この手の作品を読み慣れている人は倫理的・道徳的な問題に突き当たり、それに翻弄されながらも強く生きていくようなストーリーラインを思い浮かべるかもしれない。大雑把に語るならば後者により近い位置にいる作品ではあるのだけど、このドッペルゲンガーの恋人はもう少し深い所、「魂の在り方」について問い掛けていることが強く印象が残った。

「転生」とカギ括弧でわざわざ修飾したとおり、いくら知識や経験や記憶が受け継がれても「蘇生」ではないことが物語の大きなポイントになる。
死んだという事実がある以上、誰がなんと言おうと別の人間でしかない。そう自身を捉えるヒロインに対して主人公は、記憶と経験が受け継がれたのならそれは本人以外の何物でもないと強く主張する。このお互いの食い違いをドラマ性がさして感じられない100ページ超で語られることに、作者の強い意思を感じた。その意思は確かに後半にかけて物語として現れてくるわけだが、もっと深い何かを語ろうとしているのではないかと。

最後まで読むとそれがストンと胸に落ちてきた。amazonのレビューでは「オチが弱い」や「ゾッとする」などと書かれているが本質はそこではないように思える。人とは何か、魂とは何か、命とは何かをひたすらに読者に問いかけ続け、あげくの果てには、ほらあとはお前が考えろよ、と作品を投げ放しているように見えるのは多分自分だけではないはずだ。
いくら記憶や経験が継続していようが、そこに連続性が欠けているのならばそれは同じ人と言えるのかどうか。主人公は皮肉なことにそれを冒頭で示唆しており、にもかかわらず愛というテーマを隠れ蓑にして最後の最後までマッドサイエンティストを貫いていた。ただし、その狂気さである連続性は違う形で崩壊しているのだけど、これ以上はどうしてもネタバレになってしまう。


悲劇の恋愛にも見えるし、喜劇の恋愛にも見える、もしかしたら真の恋愛に見える人もいるだろう。多分その捉え方の違いによって、この作品に対しての後味は大きく変わるはずだ。ただ自分はむしろ、もう少し達観とした哲学めいたことを考えてしまった。つまり「不連続な存在」を題材とした魂の在り処についてである。


だいぶ話が遠回りしてしまったが、素晴らしき日々に繋がる。多分、きっと、この作品には「音無彩名」がいたのだろう。
確かに自分はそう思ったし、投げっぱなされたことの気持ち悪さもこれで解消できるはずである。

素晴らしき日々 ~不連続存在~ 通常版

素晴らしき日々 ~不連続存在~ 通常版